白露

 

雨音が静かに耳へと届く。

夏から秋に季節が移ろい始めることを知らせるような優しい雨を窓から眺める。


今日、私たちに降り注ぐ雨粒たちには、およそ七十年前の遠く、何処かで誰かが流した涙が巡り巡って含まれていて、それは嬉し涙だったのか、悲しい涙だったのか、はたまた寝起きにあくびと共に思わず溢れた涙だったのか。


真相はわからないけれど、その一粒にはきっと、知らぬ誰かの、いやもしかしたらよく知る誰かの美しい一瞬が含まれているのだと思うと、窓に流れる雨粒を、草木に宿る水滴を、いつもより少し丁寧に、静かに、眺めていたくなる。


この夏、アスリート達が流した嬉し涙も悔し涙も、やがて大地を海を巡って空から降り注ぐんだろうか。子供の頃に自分が流した涙も、親友が恋人が流したあの涙も、そうだろうか。そうだといいな。


どんな気持ちで流した涙であれ、やがて雨になって降り注ぎ、窓ガラスを滴る様が誰かの目に綺麗に映り、少しでも気持ちを解してくれるなら。もしくは流れ流れて川へと海へと辿り着き、日差しを反射し輝いて、その上を往く船を誰かを照らしてくれるのならば。そもそも全ての涙は等しく尊く、とても美しいものだと思える。


例えばまだ暑い日々の中、冷房の効いた部屋の窓から眺める夏の空。

いつもの電車に揺られながら、ぼんやり見つめる夏色の河川敷。

夜、窓を開けると肌へと流れる、秋を呼び込むしっとりとした夏の風。


毎日という言葉に収まるつもりなんて毛頭無い、色鮮やかな夏の一日、一景一瞬。昨日も今日も、きっと明日も漂い流れ、移ろっていく空に川に雨に滴に自分自身の心の内。


季節の中、空より流れる雨を窓から眺め過ぎていく今。生きていく今。


やがて、雨は上がり色鮮やかな空が瞳を照らし始める。


ふと、未来の自分はこの空を景色を雨上がりを、一体どんな言葉で思い出すだろうかと考える。一体どんな言葉がこの景色に似合うだろうかと考える。


遠く、いつか誰かの美しい一瞬たちが、滴達が詰まった夏空の下、静かに強く、自分に問う。


さぁどんな言葉で、この夏を表そうか。